崩壊寸前の現場に救世主が舞い降りる

初期研修の指導医はちょくちょくやりましたが、今回は専門医なので責任重大です。正直、性の健康教育でお母さん方にお話している方が何倍も楽でした。

どの科も人手不足と思いますが、当産婦人科も一般的に世間で言われているように人手不足です。昨年末から常勤医師が1名産休に入ることになり、当直体制が大ピンチ。このままでは、アラフォー女性医師3名で産科も婦人科も守らなければならず、崩壊する姿(家庭か産婦人科か病院のいずれかが)が目の前にちらついていた昨年夏、救世主が舞い降りる知らせがやってきました。他の科を担っていた優秀な若手医師が、諸事情で産婦人科医を目指してくれることになったのです。
救世主のH先生は医師になって7年目の女性医師で、どの科にいても常に全力投球・全力疾走、真面目で優秀。生活は地味で質素。大学時代はボート部に所属し、たった一人の女性部員として男性諸君に混じって日々筋トレに励んでいたという肉体派でもあります。一方私はといえば、いつまでも寝ていられるのが唯一の自慢の軟弱派(口が悪いことも長所といってくれる口が悪い同僚もいますが…)。技術職でもある産婦人科は、指導医と研修医はいわばマエストロ(師匠)と弟子の関係。こうして、奇妙な師弟関係が始まりましたが、この間、研修指導と子育ては結構似ているものだと実感しています。

親心が芽生えてしまう

H先生はとにかく、学ぶことに貪欲です(時に強欲)。早く一人前になるために、毎日早朝から夜遅くまで残ってお産をとりまくり、全ての処置に顔を出し、他の処置に入っていて何かイベントを見損ねてしまおうものなら、まるでハレー彗星を見損ねたといわんばかりに悔しがります(そんな、76年も待たなくても、次のチャンスはいくらでもあるのに…)。
当直に入るようになると、「1件でも多く経験を積みたい」と飛び込みの救急外来を受けたがります。そんなH先生のオーラは院内や或いは救急隊に届いてしまうのか、近くの婦人科にかかりつけの患者さんまで何の因果か内科を通じて婦人科急性腹症となってH先生の前にたどり着いてしまうのです。そんな時、H先生はエコー片手に嬉々として走り回り、本当にうれしそうです。さすがに40歳を過ぎたおばちゃま(もちろん私のこと)になると、月に5~6回当直をし、お産も救急外来も引き受けるのは正直きついのですが、うれしそうに患者さんを診ているH先生を見ると、わが子が喜ぶ姿見たさに頑張ってしまう親心が芽生えてしまうのです。

小さな失敗は何度でも経験させればよい

子育ての基本は、まず、親が手本を見せ、次に一人でやらせ、後ろからそれを見守る。小さな失敗には目をつぶり、大きく道を踏み外しそうになった時のみ手を差し伸べる、かと思います。寝返りがうてた、つかまり立ちが出来た、初めて「ママ~」と呼んでくれた。それらヒトとして小さな発達を、ある時は転んでも大丈夫なように周りの危険物を取り除いたり、後ろに立ったりしながら一喜一憂する親と同様に、私はH先生の産婦人科医としての成長を見守っているつもりです。ああ、それなのに「さすが~」「すごいね~」と褒め称えているにもかかわらず、H先生は「気持ちがこもってない」だとか「本気とは思えない」などと、素直に私の称賛の嵐を受け取りません。親の心、子知らずです。

子育てでは、小さな失敗は何度でも経験させればよいと思います。医師の場合は相手が患者さんですので、命に関わったり、経過に関わる失敗は許しませんが、それ以外のことは、やはりヒトとして成長するのと同様に、自分で考え、経験し、修正していくしかありません。その見極めのためには、どこで何をしているか常に見張っていないといけないのですが、そこは生きのいいH先生のこと、追いかけるのは大変です。その姿は、やたらと元気なピレネー犬(山岳救助などに活躍する1mを越える超大型犬。ちなみに私は身長150cm)を散歩させようと思っているのに、ずるずると引きずられている飼い主の姿を彷彿とさせます。飼い主がいない間に隣の家からえさをもらってきて、自慢げに飼い主の前で尻尾をふって喜んでいる…などとならないように、私が帰る時にはこのピレネーちゃんには「ハウス」しておいてもらわなければなりませんでしたが、最近の進歩は目覚しく、かなり安心して一人でいろいろなことをやってもらえるようになりました。
それでも、時々、あっと驚くことが起こります。「癌が心配です」といってやってきた患者さんに、問診でちゃんと子宮全摘歴を確認しておきながら「それはご心配ですね。子宮癌検診をやっておきましょう」と一生懸命子宮を探そうとしてみたり、子宮摘出手術で摘出した子宮を展開せずにホルマリン固定し、病理医に一緒に謝りに行ったり(*ホルマリンに触れている表面から距離があると組織が固定されないため、筋層の展開が必要)、子宮筋腫核出術で取り出したソラマメ大の多数の筋腫を、他にもたくさん大きなビンがあるにもかかわらずなぜか小さなビンにぎゅうぎゅう詰めにして提出し、病理医に(以下同文)(*ホルマリン固定は酸化還元反応を利用するので、固定対象物に対して十分な量のホルマリンが必要)。

奇妙な師弟関係は続く

そんなこんなで奇妙な師弟関係は半年を越え、もう、私の許から卒業してもいいんじゃないかと思いますが、まだまだ卒業しないつもりらしいので、私のピレネー犬に引っ張られる生活はこれからも続きそうです。でも、本人曰く、近いうちに私を背中に乗せて走り回ってくれるそうなので(私は金太郎か?!)、その日を楽しみにもうしばらく研修指導に励みたいと思います。