これまで産婦人科に携わってきて、今でも強く頭に残っている姉妹がいます。
状況的に明らかに実父からの性行為によって妊娠したと思われる姉妹でしたが、父親も姉妹もその妊娠の相手が誰なのか決して口にしませんでした。
そのうち姉がある病気で長期入院することになりました。知的障害があり自分のことや考えを言葉にすることが難しいといわれていた彼女は、入院生活を続けてスタッフと打ち解けていくうちにだんだん言葉が増えてきて、退院のころには「家に帰りたくない」と話すようになっていました。
妊娠のことまでは話されませんでしたが、虐待の存在を疑わせる内容が話されたので、福祉施設への退院を検討していましたが、最終的には実父の反対をきっかけに自宅に帰ることになりました。
担当福祉機関にもかけあってみましたが、19歳になっているので自分の意志による帰宅ということになってしまいました。
それまでにも、何度も父親からの性的暴力が疑われていたのに保護されずに、心を閉ざすことで何とか彼女は生きのびてきて、ようやく自分の意思を伝えることが出来たのに・・・と思うと悔しさがこみあげてきました。
その悔しさが今でも何かの折に頭に浮かびます。
今回の法律改定で、ようやく彼女と同じような立場で、父親からの性被害の中、何とか生き延びている子どもたちを救う法律が出来たのだと少し安心したのですが、なんと2019年3月、名古屋地裁で驚きの判決がありました。
実の娘が19歳の時に、勤務先の会社やホテルで抵抗できない状態に乗じて性交をしたとして、実父が準強制性交の罪に問われていた裁判です。「同意があり抵抗もできた」とする弁護側に対し、中学2年のころから性的虐待を受け続け、「学費を払ってもらっている負い目からも心理的に抵抗が出来なかった」として争っていたのですが、判決では、性的虐待は認めながらも「以前に性交を拒んだ際に受けた暴力は恐怖心を抱くようなものではなく、暴力を恐れ、拒めなかったとは認められない」として、父親に対し無罪判決を言い渡しました。
ネット上でも多くの批判の声が上がっていますが、私もこの判決を見て腰が抜けそうになった一人です。おそらく今回の件は、18歳までが対象になる「監護者による子どもへの性的虐待を処罰」する対象ではないとして、「暴行・脅迫の有無」が争点になったようです。
今回の事件でもそうですが、日本の性暴力犯罪は、暴行・脅迫が証明されなければ罪に問えないのです。今回の事件に関して言えば、「抵抗できないほどの暴力・脅迫」の考えが、裁判官と一般の人たちと大きな乖離があるようです。
本来、同意がない性行為そのものが、性的な自己決定権を奪う犯罪です。フィンランド、スウェーデン、カナダ、イギリス、ドイツ、アメリカの一部の州などは同意のない性行為をレイプ犯罪としています。
また、「暴行・脅迫要件」がある国でも、日本よりは穏やかな要件で犯罪が成立します。
2017年に改定されたこの法律は、施行後3年を目途に見直しが予定されています。
性的自己決定権を奪われる犯罪に対し、当事者の声にもっと耳を傾け、社会全体が意識が変わることで、この法律が被害にあった人たちをさらに苦しめる法律にならないよう声を上げていくことも必要だと思います。
2020年、東京オリンピックだけではなく、この法律の行く末も注目したいと思います。