さて、ここ数回の「課外授業」は産婦人科医としての医学的なお話しというよりも、心のケアのお話しが続きました。今回は、少しだけ医学的な領域に戻ってお話しをします。当院で取り組んでいる母乳育児支援の取組みについてです。

赤ちゃんにやさしい病院

当院では母乳育児支援の為、これまで様々な取組みを行ってきました。特に2007年からは、WHO/UNICEFの共同声明である「母乳育児成功のための10か条」を実践している病院を公式に認定する『赤ちゃんにやさしい病院』と認定してもらうことも含めた活動を、「赤ちゃんにやさしい病院」推進委員会を中心とした病院全体の取組みとして頑張っています。
産科と小児科だけの取組みではなく、病院全体のものとするため、新入職員オリエンテーションで、"なぜ、今母乳なのか"当院ではどのような支援を行っているのか"職員一人ひとりが関われることは何なのか"などを考える時間をつくっています。中には「母乳」「赤ちゃんにやさしい」という言葉じりをとらえ、「母乳だけにこだわるのはどうかと思う」「お母さんには厳しいのではないか」、という反応や、これまで出産経験のある職員からは「母乳をあげたくても出なかったことを責められているようで辛い」という反応が返ってくることがあります。

そのような声に対しては、人工乳は、栄養、免疫、衛生面ではるかに母乳に及ばないこと。また、多くの女性が我が子に母乳を飲ませたいと思っているのに、周囲の配慮や医療者のケアが足りないばかりに「おっぱいが出ない」「足りない」と思わされていていること。「赤ちゃんにやさしい」とは、「母乳で育てたい」という女性とその恵みを享受する赤ちゃんの双方を支援する取組みであり、母子を取り巻く環境を整えることでもあると説明しています。もちろん、医学的な理由で赤ちゃんに母乳をあげられないお母さんもいます。その場合は、より密接に母子を支援し、母親としての自信が持てるようにサポートします。

産婦人科医療のガイドライン

産婦人科医療のガイドラインにも、この「母乳育児成功のための10か条」が記載されており、出生直後異常のない児は、なるべくお母さんのそばでケアをすることとなっています。当院では、出生時異常のない赤ちゃんは、母の同意の元、カンガルーケアを行っています。スタッフが安全を確保しつつ、生まれてすぐ母の胸の上に直に赤ちゃんをのせます。最初「おぎゃー」と泣いた赤ちゃんは、胸の上に乗せられると、泣くのをやめて穏やかに過ごします。中には、母乳の匂いに惹かれるように体をもぞもぞと動かし、乳首の近くに行こうとすることもあります。そして、赤ちゃんの観察のため、お母さんから体を引き離されると、殆どの赤ちゃんが「離さないでー」とでもいうように激しく泣いて抵抗します。

産後のお母さん

産後のお母さんはなるべく、24時間、赤ちゃんと同室、同床で過ごします。赤ちゃんが欲しがる時に欲しいだけ母乳をあげるためです。休めずにかわいそう、という声が聞こえてきそうですが、赤ちゃんが寝ている時はお母さんも一緒に寝てもらったり、寝ながらおっぱいを飲ませる「添い乳」を練習してもらったりして、なるべく、お母さんも楽に過ごせるようアドバイスをします。数日間は、母乳の分泌も少ないのですが、根気よく赤ちゃんが吸い続けることで、徐々に母乳分泌が増えていきます。この、最初の数日を乗り切ると、母子共に楽になる事が多いのです。この時期を例えるならば、皆さんは、最初に自転車を練習したことを覚えているでしょうか?始めからすいすいと乗りこなしたり、片手運転や手放し運転が出来たわけではありませんよね。補助輪を使ったり、後ろから支えてもらったり、何度か転びながら練習してやっと乗れるようになったと思います。同じように、母乳育児成功のためには、少しの努力と周囲の支えが必要です。辛いことを取り除くだけが支援ではありません。
しかし、中には、様々な要因で思ったように母乳栄養が進まないことがあります。小児科医が必要と判断した場合は人工乳を一時的に補充することがありますが、母乳栄養の支援をやめるわけではありません。少しずつ前に進めるよう、入院中だけで不十分な場合は、授乳外来で支援を継続します。

時間と心の余裕も必要

また、お母さんが赤ちゃんとじっくり向き会える、時間と心の余裕も必要です。いつでも気兼ねなく母乳をあげられる環境も大切です。当院は経済的困難を抱える方の入院助産制度を利用しての分娩を受け入れています。統計によると、ここ数年間の取組みで退院時及び1ヶ月健診での完全母乳率は徐々に上がっており、約9割の方が完全母乳栄養です。
一方、入院助産利用者は、退院時には非利用者と同様に9割が完全母乳ですが、1ヶ月健診では7割以下に低下しています。入院助産を利用している人は、経済的困難に加え、若年、シングルの人が多い傾向にあります。支える人の少なさ、経済状況が、ゆっくりと母と子が向き合うための「心」と「時間」の余裕を奪っているのかもしれません。母子を取り巻く社会が優しくないと、母乳育児は困難です。私達は、母乳育児支援をきっかけに地域社会に働きかけ、弱者にやさしい社会になるよう取り組んでいきたいと思っています。